kufsnkkの日記

NKKメンバーがお届けする、日本語教師の日々をつづったブログです。

アメリカ行きの経緯と飛べるまで

急にアメリカに飛んだ広報のトモノです。

びっくりですね。私も自分にびっくりです。

 

これには少々私の経歴の説明が必要です。中学生の時、オーストラリアでのホームステイ先で日本語の先生に会ったことで、海外の子どもに日本語を教えるっていいなぁという漠然とした夢を持つようになった私。

 

高校3生の夏、アメリカのユタ州立大学(以下USU)へ進学することを決めます。目的は小学校の教員免許を取りアメリカの子どもに日本語を教えることでした。USUに は日本語の授業があり、主に日本人留学生がその補助をするチューター制度がありました。私はほぼ毎日チューター室へ通い、そのうち授業にも参加。新出単語 の紹介から、活用形の説明、応用練習など教えるチャンスをもらい、結局思い出せば実際に教えたのはその時が最初でした。そのうち、知識不足や、自 分で授業を組み立てる難しさを痛感し京都外大3年次に編入。1から日本語教育を勉強することになります。

 

当時教えていた先生とは帰国後も連絡をとり続け、修論ではアンケート調査をさせてもらいました。今、教えている大学が母校、USUです。今年の6月には先生の一時帰国に合わせ当時の留学メンバーと同窓会を開き、近況報告もしていました。話があったのはそれから1ヶ月後の7月中旬でした。急に前任の方が辞めるからすぐ来られる人で、勝手がわかる人の方がいいという理由ではありましたが、滅多にないチャンス。「はい、行きます」と行ってから渡米まで1ヶ月と1週間。簡単に振り返ります。

  

7月13日:後任を探していると話をもらう。答えは数日以内にとのこと。

7月15日:修了生仲間に声をかけてみるも、急な話で行ける人がいない。渡米決意。

7月17日:履歴書を送る。書類地獄の始まり。

~この間大学との書類のやり取り、外大からの書類の取り寄せ、推薦書の依頼等々

7月28日:ビザの申請に必要な書類が到着。オンラインでビザの申請の手続きを開始。 

7月29日:勤務していた日本語学校に事情を話し夏休みまでで退職を伝える。

7月31日:このあたりは連日深夜までオンラインの書類と格闘。アメリカに住む友達に聞きながら必要な書類、支払い項目の確認をして、面接の予約を取る。

8月1日:ビザ面接。朝一だけ急に空きが出たらしく予約ができたが、そのあとは2週間くらい埋まっていた・・・3時間大使館で並び面接は無事終了。

8月11日:ビザと対面。飛行機は10日後のチケットを購入。

8月18日:主人の実家に挨拶・・・。ダンボール三箱分の荷物を発送。

8月21日:出発

8月26日:授業開始(着いて二日後に扁桃腺が腫れる)

94:1つだけ荷物到着・・・

他の日記でも書きますが、私は特に大きな問題もなく、色々なことがスムーズに行きました。それには色々な理由があるなと思っています。とりあえず、今日はここまで。

細かい話が聞きたい人はいつでもどうぞ^^

 

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毎日7時半の授業で寝不足です・・・